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レイキ未経験の方からティーチャーさんまで、22名の方に、ご参加頂きました。ありがとうございました。

レイキサークル会の流れは、いつも通り、レイキサークルをして、レイキマラソンをしました。

参加者さんの男女比は、半々くらいでした。さらに、レイキの取得段階が、未受講、ファースト、セカンド、サード、ティーチャーと、だいたい同人数ずついらして、バランス良かったのではないか?と思います。

レイキマラソンそこでレイキマラソンをする時の、グループ分けもバランス良く、どのグループにも、全ての段階の人が、同じ割合でいるようにしてみました。

そうして、3組に分かれて、お1人16分ずつ、交代でヒーリングを受けて頂きました。

今回、印象的だったのは「何からの疾患があって、治りたいと言っているが、治りたくないと思っている人」について、皆さんとお話したことです。

まず「そういう人って、いますよね」という、お話になりました。

私は5年前まで、そういう人だったので、耳が痛くもありますが(笑)よく分かります。

症状や発作が出ると、体が苦しいから治りたいんです。けれど、心の底とか深いところで、治りたくない、病気でいたいんですね。

何故なら、もしも治ったら。私の場合は・・・。

今みたいに寝てばっかりはいられない。働かなくちゃいけないし。やりたくないことも、やらなくちゃいけないし。誰も優しくしてくれないし、自分を構ってくれない。などなど。

病気でいた方が、楽なこと、快適なことが、たくさん、あったのです。体は苦しいので治りたいけれど、病気でいる快適さは捨てがたい。

こうしたギャップが広がるほど「治りたいけど治りたくない」という矛盾を抱えていくのでしょうが、本人は、矛盾に気付いていないことが、多いのではないかと思います。

私は、20年近く気付けずに、苦しんでいました。そして気付いた時、なんと、それだけで病気は治ってしまいました。病は気からって本当なんだ!と思いましたよ。

残念ながら、現代の医療では治せない病気もあるでしょうから、病は気からと言っても「治りたいけど治らない」ことも、あると思います。

「治りたいけど治りたくない」のか、「治りたいけど治らない」のか、難しいですよね。

昨日、レイキのセミナー中に、いいお話を聞きました。

難病のお婆さんが治療のため、お薬を飲む時に、手の平に薬を乗せ、その薬を撫でながら「この薬はね〜、私の病気を治してくれる、とってもイイお薬なんだよ〜、どうもありがとうね〜」と、優しく話しかけてから飲んでいたら、病気が治ったという、お話です。

私は、この人生で一度も、そんな風にして薬を飲んだことは無いので、お話を聞いて、ショックを受けました。

レイキを学んでから、薬を飲む機会は、ほとんどなくなってしまいましたが、今までは「飲みたくない」と思って、または「この薬は効くはず無い」と思って飲んでました。

こうして改めてみると、ヒドイですよね。「効くはず無い」と思うなら、何で、飲んでいたのでしょうか?

同じように「治る訳がない」と思いながら、病院に通ってました。そして治らないのなら、自分が願った通りの結果なのですが、それを「ヤブ医者め!」とか言って、お医者さんのせいにして、怒ったりしてました。

今から思えば、自分の病気が治らないのを、他人のせいにしたかったのだと思います。そうしたら、より同情して貰えましたし。

もしかしたら「治りたいけど治りたくない」のと「治りたいけど治らない」の違いは、こういうところに、あるのかもしれません。

さて、「治りたいけど治りたくない場合、レイキのヒーリングは有効か?」というお話にも、なりました。これは、ケースバイケースかと思います。

私の場合、自分自身の矛盾に気付くという点で、レイキのセルフヒーリングは、とても有効でした。但し、それに気付けたのは、半年間ほぼ毎日、セルフヒーリングを続けてからです。

気付きを促すという面では有効かと思いますし、レイキが、そのきっかけになれたら嬉しいんですけどね。ヒーリングを重ねるうちに、ご自身の矛盾に気付かれて、改善に向かったというケースは、たくさんあります。

でも逆に、気付きに到達する前に、上記と同じように「レイキが効くはず無い」とか「ヤブヒーラーめ!」と、治らない言い訳にされてしまうことも多いかと思います。

そうして考えると、ご本人の意志や、気付きのタイミング次第でしょうか。

この件で皆さんとお話したのは、ほんのチラっとでしたので、ここで私の考えを書いてみました。

こういうのは、テキストに載っていないけれど、ヒーリングをされていく上で現実的に、よくぶつかる問題だと思います。こういうお話を、皆でシェア出来るのは、交流会のいいところかな〜と思いました。