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レイキサークルレイキ未受講の方からティーチャーさんまで、10名の方に、ご参加頂きました。ありがとうございました。

会の進行は、いつも通りで、はじめに自己紹介しあってから、レイキサークルでレイキを流す練習をしました。

それから、レイキマラソンを行いました。1名の方に対し、参加者全員でヒーリングを行うスタイルで、お1人8分ずつ交代で受けていきました。

レイキマラソン今回は、いい連帯感が生まれたように感じます。居心地良く、気持ち良く、楽しい空間で、それだけでも癒されました。一体感や密度がとても濃くて、レイキマラソンが終わった後、しばらくクラクラきてました。

さて。ここから後の文章は、交流会から少し日にちが経ってから書いています。

レイキマラソンで私は、私を通じて、父にヒーリングして下さるよう、皆様にお願いしました。

交流会の3日前、父が入院している病院の、お医者さんから「親戚一同、集まるように」と、非常召集がかかりました。私はバンドの練習の用事があったので、ギターを担いで病院に行きました。

そして、お医者さんから「もう治療できない・治らない・治せない・もう二度と退院することは無いと思ってください」と告げられ、余命が後どの位か分からないけれども、治す治療はもう出来ないので、これからは痛みや苦しみを少しでも軽減する方向に、方針切り替えることに同意するよう求められました。

つまり、もう手の尽くしようがなく、あとは死ぬのを待つだけ・・・なんて状態に同意なんて出来ないですけれど、でも、現実を受け入れるしかないですよね。

お医者さんとのお話が終わって、父の病室に戻り、私はその後のバンド練習に向かうためギターを担ぎました。その姿を見て、父が「元気になったら、またライブ見に行きたいな」と言いました。

「そうだね。だから早く、元気にならないとね」と言いながら、私は病室を出ました。

そしてタクシーに乗って、泣きました。私のライブに、よく父は来て、写真を撮っていました。娘としては疎ましかったりもするのですが、でも、もう二度と、そんな日は、ないのですね。

そういうショックを受けていた時だったので、交流会で皆さんにお会いするだけで、私は少し、元気を取り戻せました。

そして皆さんにレイキマラソンで、父に対しヒーリングしてもらう時、どういう意図でヒーリングして頂いたらよいのか、とても悩みましたが、残された時間を悔いないように、そして少しでも痛みや不快なく過ごせるように、お願いしました。

それが効いたのか交流会の5日後、父が一時的に外泊できるようになり、それで状態が良ければ、退院もできることになりました。

え?もう二度と退院できないって言っていたのに何故?と思いましたが(今から思えば、それが自宅で過ごせる最後の時という意味で)数日間、退院できまして、わずかな時間でしたけど、家族で食事も出来ました。

そして、その2週間後、父は亡くなりました。昨年の7月、父の病気が発覚した時点で「覚悟しておくように」と、お医者さんから言われていたのを考えると、今まで、よく頑張ったと思います。

最後の日、ほとんど1日中私は、意識混濁の父に、レイキヒーリングしていました。そして最期の時、スーっとレイキが流れていかなくなり、そのまま静かに眠るように、父は息を引き取りました。

レイキをしながら父を見送ることが出来たのも、皆様のお陰だと思っています。限りある命、肉体は儚いものだと思いました。だからこそ大切にして、生きていきたいものですね。

生きてると色んなことがありますが、これからも私は悔いのないよう、自分が信じる道を、レイキと共に歩んでいけたらと思います。どうも、ありがとうございました。